人間魚雷 回天 大和ミュージアム
広島県 呉市

 
戦艦「大和」
 
 人間魚雷「回天」


父親が敗戦を迎えたのが呉市である。

呉港に上がった途端、下士官が誤って地雷を踏み外し、
下半身が吹き飛び、大腸や小腸が周辺に飛び散った。
真っ赤に染まった片腕でかき集めながら、
「頼む…、助けてくれ!」と叫んでいた。
肉片や血を浴びた水兵達はそんな声など一切耳に入れず、
頭部、腕、背中を踏み潰し、
海に蹴落とした。

戦時の不条理な上下関係が齎した事実である。


父親は海軍に所属。
戦争末期に大津島に配属され、人間魚雷「回天」の搭乗員になった。
その地で操縦訓練をし、特攻日が決まった。
出撃をして敵艦に当たるが、不発。命を取り留めた。



そう言った関係で、
大津島に伺いたいと思っていたが、
人間魚雷「回天」が展示されていた。




太平洋戦争末期、旧海軍が極秘に開発した特攻兵器。
93式酸素魚雷を改造した全長約15メートル、直径約1メートルで1人乗り。
先頭部分に約1.5トンの爆薬を積み、潜水艦に搭載して出撃。
敵艦を発見すると潜水艦から発進して体当たり攻撃を行った。
周南市の大津島、光市、平生町、大分県日出町の4カ所に基地が置かれた。
1944(昭和19)年11月8日に初出撃。
終戦までに搭乗員や整備員ら145人が戦死。死亡時の平均年齢は21.1歳。

 
   

 
海上自衛隊の潜水艦や護衛艦などの呉護巡り 
 
 

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