ほのぼの

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  北海道を開拓したのは


ピイチクパアチク
ピイチクパアチク。
雲雀は上下に飛びかいながら、
それはそれは、うるさいほどに鳴き始めます。

デデッポ、デデッポウ
デデッッポ。……。
地を這うような低い声は、山鳩の登場です。

見渡す限りの広大な平野をたずさえ、
たおやかな十勝川は、自然の力に任すままに、
時の流れをゆったりと刻むがごとく、悠々と旅を続けます。

そんな春の到来に、北海道の十勝地方では雪が消え、
人々が一斉に忙しく動き回る時期がやってきました。

畑から白い湯気が上がり立ちこめてくると、農作業の始まりを告げます。
冬の間雪に埋もれ、休んでいた畑には融雪剤がまかれ、
土をおこすのと共に種を植える季節を迎えたのです。

十勝平野の春は本州よりも1ヶ月以上遅れてやってきます。
北海道の農家では、そろそろ様々な機械の手入れが始まる時期でもあります。

北海道が開拓されて、ほぼ140年が経過します。
洗練された札幌や函館では、
その歴史の面影は既に全く途絶え、
昔からそこにあったように、
街も人も振る舞っています。
しかし、まだ開墾の手を入れた初代の人々からすれば、
現在の人達は第3世代にすぎません。
祖父祖母の代が北海道を切り拓いたのです。

未開の山を開くのは、それは想像の域を超える壮絶な自然との闘いでありました。
まだ洞穴が住居の代わりをした頃、
農耕機械はおろか農機具さえままならなかった時代、
人力が何よりの財産ですが、
共に血の汗を流したのが農耕馬です。

荒れ地に手を伸ばすには、まず木を伐採し、
その後切り株を根こそぎ掘り出さなくてはなりません。
                                   
土地をおこすには、馬の力は大変貴重な労働力でした。
しかし十数メートルにもなった樹木の根を掘り起こし、
切り取った木材の山降ろし、
邪魔な岩石の取り払い、
物資の持ち運び等々、
さらにまだまだ寒い時期の畑興しは、
馬にとっても、それはそれは重労働なのです。

背中からは湯気が立ちこもり、それでも尻を鞭で叩かれるので、
いやがおうにも必死です。

畑作業の時だけ使われるかというと、そうではありません。
第2世代の頃でも、
町に出かけるとき、病院に行くとき、
馬そりになって雪の中をこざいていくのです。
子供にとっても農耕馬は車の代用でした。
登校時にまたがれ、そのまま放課後まで校庭の隅につながれて主を待つのです。

それでも農閑期になると、馬も一時の休憩の季節を迎えます。
夏の間毎日のように働いたので、その分冬は家族と同様に大事にされます。

凍てつく厳しい寒さが続くときでも、暖かな小春日和が必ず訪れます。
天気のいい日は厩舎から出て、日差しが眩しい牧場に出かけ、
日がな1日のんびりとひなたぼっこをして暮らすのです。
デントコーンや牧草、発酵されたエン麦など、食料をほおばりながら、
いつの間にやらうたた寝を始め、
夢、夢、夢の中、体も心ものんびりと休息をとります。

近くで遊んでいた娘達はそんな農耕馬に近づいては、
たてがみを三つ編みにして遊びます。

でも根がおとなしいので、なされるがまま夢心地です。


北海道の春は、芽吹きと共に観光の到来でもあります。
今年もまた多くの人達が大地を満喫しにやってきます。

そして何処の町に出かけても、入り口には、
「開拓○○○年」と刻まれ、その苦労の様子が描かれています。

でもその印された言葉の中には、農耕馬のことは一言も登場しません。
恵み豊かな北海道を築き上げたのは、開拓精神を持った先代だけれども、
その側でずっと寝食を共にした農耕馬のことを、
忘れるわけにはいきません。


北海道に訪れるときは、そんなことを頭の片隅に
思い浮かべてもらえれば幸いです。




※栗毛の農耕馬の写真は「マンタンの便り」のマンタンさんより頂きました。有り難うございます。