佐々木要太郎氏の料理
岩手県 遠野市
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- 晩餐が佳境にさしかかった頃、要太郎氏がやってきて話し始めた。
納得できる部分はあったものの、
一晩二晩と経過する毎に言葉の端々に齟齬を感じるようになってきた。
- 今回で3回目の宿泊である。
1回目が確か開業した2011年。当時は日本料理を基本とした料理が出されており、
客室自体はあまり使い勝手が良くない状態であった。
それから数年して経過して2回目。2室を使い分けて良くなった。
その頃は熟成した鳴門鯛、地産トマトアレンジなど、食材に手が施されて本当に美味しかった。
そして令和に入った3回目。客室変更は殆ど無かったようだが、庭木が気になった。
手が入っていたか否かというより、不精であった。
- そして大きく変更されたのが「料理」だろう。
その象徴が前菜の干しエノキ。廃棄食材を用いている。
山女魚を始めとした天ぷらを盛ったのは乾燥稲わら。
天日処理しているのだろうが、藁苞以上に衛生面が気になった。
そして鰯に添えられた蕗の葉はただただ苦く、食べられたものではなかった。
メインの短角牛もまた○○間近なものだった。
しかも妻は牛肉は難しいことを承知しながら「敢えて提供」したという事だった。
勿論代替の一皿など要求していないので、準備無しなら外すだけの話であるが、
喧伝する方が優先されるのだろうか。
慮ろうとする寄り添いは感じられなかった。
大まかに捉えれば「地消地産」なのだろうが、
立ち位置や方向性に疑問を感じる。
食材を無駄にしない、食べられる裾野を広げる。
その考え方は十分理解できるので、今後も進めれば良い。
ただ彼の「スローフード」は人に強要するものではない。
現在もそして今後も彼の料理を有り難く頂戴するファンは沢山いるだろうから、
それはそれで理解してやって来ることと思う。
しかし「廃棄食」「野菜屑」利用は家庭料理の礎であって、
食すことは日常的であって馳走とは考えない。
まして命をいただく精神は昔から脈々と受け継がれてきたことで、
「食の再生」を看板に掛けたところで欲したいとは思わない。
朝方散策すると地元の方々と親しくなった。
あれこれ話が弾んでいったのだが、宿泊先を尋ねられて「とおの屋要」と答えると、
「そうか、要太郎のところか…」
話が途絶えてしまった。
毎年春と言えば、いつも太っちょで柔らかな道産アスパラを食していたが、
「遠野風の丘」で購入した旬のアスパラ、これが断然旨かった。
この遠野でも季節毎にきっと旨い食材が沢山あるのだろう。
「父親の育てたトマトは旨かった」の言葉通り、
「青々しい太陽の香りがするトマトこそ最高の食べ物」と私も思っている。
唯我独尊を目論むのも良いのだろうが、
この地に託し、民に託し、どっかり根を張り、大地を闊歩する。
そんな人と食を欲していきたいと思う。 - 詳しくは前回の宿泊編を参照。
- 参考価格…65000円
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