ほのぼの

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  3月11日を前にして


大震災が襲った3月11日未明。
彼らの行動に異変がありました。
彼らとは自然林に囲まれた沼で暮らす生き物たちのことです。

毎年冬になると白鳥や雁の群れが飛来してくる小さな沼があります。
初めて白鳥が飛来したのは10年程前で、当時は僅かに2、3羽だけでした。
それから数羽ずつ多くなり、今では30羽を超えるようになってきました。

地元の人々はその沼で釣り糸を垂れますが、晩秋になってくると白鳥のためにそれを控えます。
そして白鳥が怪我をすることがないように、残った糸や針の全てを網で取り払って冬を迎えます。
散歩道に木陰が広がり、ベンチで休憩できるこの沼は、夏は格好の憩いの場になります。
冬は白鳥を間近で見ようとやってくる人、そしてパンや残飯を持った大人や子供で、まるで白鳥と人間が共生しているような場ともなっています。

初冬を迎えた時期から約4ヶ月近く、ここで越冬します。
早朝には独特の甲高いラッパのような鳴き声を残しながら、餌を求めて羽ばたいていきます。
昼頃には沼に戻り、長い首をすっぽり身体に隠し、水面に浮かびながらくつろぎます。
ときにそよぐ風に身を任せ、解かれた小舟のようにゆらゆらします。

夕刻近くになると、学校を終えた子供たちがやってきて、はしゃぎながら給食で残したパンくずを与えます。
白鳥たちはその歓声に応えるように、そばにやってきては喜んでついばんでいます。


沼の半分ほどが凍り、日中になるとまた溶けるの繰り返しです。
ときに果敢に氷上を歩こうとする白鳥がいますが、つまづくのが常です。

春めいてきた4月近く、早朝でも氷が張らなくなった頃、ゆるんできた風に誘われるように毎年旅立っていきます。
昨年も一昨年も同じ日で、ここ数年3月17日が旅立ちとなっています。
お別れに立ち会おうと、いつもより少しだけ人の数が多くなります。この沼のちょっとしたイベントの日です。

沼の近隣は自然豊かな原生林に囲まれ、野生動物の棲息する場所となっています。
たまに獣道を外れた狸が、舗装路に出てくることもあります。
ある日、目の前を一頭の狸がさっと道を横切り、端で立ち止まっていました。
なぜだろうと思っていた瞬間、もう一頭の狸が通り過ぎ、その後寄り添うように森の中に去っていきました。
狸の夫婦なのでしょうか、先を急ぐことなく立ち止まり、後からやってくるのをじっと待っていたのです。

沼周辺の赤松の林はカラスのねぐらとなっています。
朝方になると何千というカラスがあちこちに羽ばたいて出掛けていきます。
午後になると早めに羽を休めに戻ってくるカラスもいます。
そして夕刻になれば電線が真っ黒になるほど一斉に帰ってきて、あっちでガア、こっちでガアッ、ガコッと鳴きながら、寝床である赤松の森の中に消えていきます。
 
そして3月11日未明。
3月11日とはあの大震災の日です。
予想だにしなかった大地震が東日本を襲った日です。

沼の木陰
陥没して傾いたベンチ

誰もが寝静まった夜中の午前2時から3時頃、カラスたちが突然ギャーギャー鳴きわめき始めました。
不協和音のようにあちこちでばらばらに鳴き、いつまで経っても終わることがありません。
それはずっと断続的に続き、白々と明けてきた頃にやっと聞こえなくなりました。

それに呼応するかのように、白鳥のかすかな鳴き声が未明に聞かれました。
そして厳しい寒さが続いているにもかかわらず、早朝には白鳥の姿は一羽もありませんでした。
例年よりも1週間早い11日、急かれるように一斉に飛び立ち、帰りの途につくことになったのです。
勿論沼に戻ることは決してありませんでした。
 
あのときの白鳥とカラスの震災前の異変は何だったのでしょうか。
たまたま偶然が重なったとみればいいのか、大地震の前触れを察知していたとみればいいのか、意見は分かれます。
ただ地震予知は難しいと考えても、危険から身を守るために警告を発したり、その場を離れたりしたことは明らかです。
もう一点はっきりしているのは、我々人間よりも遙か前に敏感に感じ取ったという事です。
それも観測データを解析した結果、10数秒前という切羽詰まった状況で察知したのではなく、時間にして12時間、半日前から感じ取っていたという事実がありました。

人間よりも遙かに鋭敏な感覚を備わっていたことを知り、彼らの有能な姿をみた瞬間でもありました。
身体能力の際立ちは誰もが認めるところですが、潜在的な能力が他にも沢山備わっているのではないかと思わせるほど、卓越した力を垣間見たことにもなりました。

人間は地球上の中で最も優秀な生き物と言われていますが、それは人間と他生物を同じ立場で客観視した比較論ではありません。
研ぎ澄まされた筈の英知が結果的に多くの災いをもたらしたこともあります。
そこに驕りがあります。

今回の大地震を被災した身として考えれば、我々人間の方が遙かに優秀であるという誤った考え方を猛省しなければなりません。
そして他の生き物に対して真摯に耳を傾け、謙虚に学んでいかなければならないことを痛感した3月11日となったのです。

一年後の続編はこちら

3月11日の大震災の際には、沢山の方の支援/援助をいただきました。

遠路遙々駆けつけてきてくれた自治体の給水車(下記写真)。

救援物資の運搬を始め、
整備に携わってくれた自衛隊と関係者の皆様。
多くの車を見るのが日常風景になると共に、
様々な方からの声がけや励ましが
何と有り難かったことか…。

あの大震災で受けた亀裂で、何と人間はちっぽけなものかと思い知りましたが、
そのちっぽけな人間が育んできた本当に大切なもの、
人の絆の深さもまた確かに感じ取ることが出来ました。
紡がれた糸の太さに日々感謝の思いでいっぱいです。

改めて御礼を申し上げます。誠に有り難うございました。